慧日集
2570年7月24日 謹録 導師の聖言
和訳|慧日集(094)
一念の分別は、そのまま一念の煩悩となり、一念の煩悩は、そのまま一念の生死となる。世間のあらゆる事物は、すべて相対のうえに成り立っている。上と下、表と裏、前と後、内と外、是と非、善と悪――いずれもみなそうである。
それゆえ凡夫は、ひとたびその境遇に身を置くと、たちまち慣れ親しんだ思考に従い、「我」を分別の中心に据える。そして、見ること、聞くこと、感じること、知ることのすべてを「我所」として捉えてしまう。
「我」と「我所」は、始まりも終わりもない環のように、巡ってやむことがない。これこそが、六道輪廻にほかならない。
【解】生か死か、染か浄かは、いま現前する一念がどこへ向かうかにかかっている。この一念の趨向は、果報によって培われた習性から生じるものであり、念から念へと絶えず相続していく。もし、この相続する念を断ち切ることができれば、無明は永く滅し、二度と六道を輪廻することはない。
原文|慧日集 094
一念分別,即一念煩惱
一念煩惱,即一念生死
世間的一切事物都是相對安立
譬如上下、正反、前後、內外、是非、善惡等
因此,凡夫人於身歷其境時
立刻依著慣性思惟
以「我」為分別的核心
變成了「我所」見、聞、覺、知
我、我所,如環無端
即是六道輪迴
【解】生或死,染與淨,在於現前一念的趨向。此一念趨向即是果報的慣性所成的相續念,倘能斷除,則無明永滅,不復六道輪迴。
