導師の居士への教示
2570年7月30日 謹録 導師の聖言
和訳|大慈大智なる導師から学友への聖諭 2569年1月20日
もし人生に苦難がなければ、誰も安楽を追い求めはしない。もし人生に煩悩がなければ、誰も解脱を得ようとは望まない。安楽も解脱も、すべて相対的な必要から求められるものである。
凡夫はこの娑婆世界に生き、さまざまな境界に直面して、身心にあらゆる苦しみを受けている。だからこそ、安楽や解脱を求める心が生じるのである。
それゆえ、「仏は縁ある者を度す」ということこそ、仏法の真諦にほかならない。縁のない人、すなわち、自らに苦難や煩悩があるとは思わない人は、当然ながら、安楽や解脱を得ようとは望まない。そのような人にとって、福慧浄土には何の意味もなく、いかなる価値もないのである。
つまり、福慧浄土に心の相応する者だけが、そこにおいて悟りを得ることができる。もし心が相応せず、覚性も具わっていなければ、福慧浄土を成就することはできないのである。
原文|大慈大智 導師對學友的聖諭 25690120
假如人生沒有苦難,就沒有人去追求安樂,假如人生沒有煩惱,就沒有人想獲得解脫。安樂也好,解脫也好,都是相對性的需求,是因為凡夫生活在娑婆世間,他所面對的種種境界,他的身心遭受了種種折磨,所以這個需求才被產生,因此佛度有緣人才是佛法的真諦,沒有緣的人,不認為自己有苦難、有煩惱的人,他當然不想獲得安樂解脫,福慧淨土對他來講就沒有意義,沒有任何的價值,這個意思就是,福慧淨土是有相應的人,才能夠從這裡覺悟,如果你的內心不相應、沒有覺性,就無法成就福慧淨土。
