2570年7月25日 謹録 導師の聖言
和訳|福慧語録(043)
順境も逆境も、すべては心の受け止め方の変化によるものである。それを順境と思えば順境となり、逆境と思えば逆境となる。言葉のうえでは正反対のように見えても、実はただ、一念の転換にすぎないのである。
順境と逆境が目の前に現れると、凡夫の分別心はたちまち働き始める。たとえば、日々大善知識に接し、その教えを模範として道業に精進できる、まことに殊勝な環境に身を置き、災いも憂いもなく、福報も法縁も十分に具わっていれば、人はおのずと「これは順境である」と受け止める。
反対に、人や物事が思うように運ばず、心身の調子も崩れがちで、さらには災禍が相次ぎ、心の中に愚痴や嘆きばかりが募るならば、誰もが「すべては逆境である」と決めつけるであろう。
しかし、まさにそこにこそ、修行の価値がある。仏法では、「順境も修行によいが、逆境はさらに修行によい」と説く。なぜなら、凡夫は順境に身を置くと、とかく有頂天になって我を忘れ、自らの思考の盲点に気づきにくくなるからである。それに対して、逆境は志を鍛え、観照の力をいっそう鋭敏にし、言葉や行いの過ちを減らしてくれる。
言い換えれば、真に修行を志す者が、あらゆる境界に向き合う心構えは、次のようでなければならない。
安きに居ても楽に溺れず、苦しみに遭っても憂えず、順逆の想いを離れ、ただ解脱あるのみ。
つまるところ、かくのごとき因があれば、かくのごとき果がある。過去に造った業を、いまこの身に受けているのである。すべては業力によって動かされるものであり、自らの力だけでどうにかできるものではない。
修行者たるもの、私心と我執を離れ、絶えず心量を広げて一切を包容してこそ、初めて正しい方向へと通じる大道を切り開き、その道を揺るぎなく歩み続けることができるのである。
順境或逆境,都是內心的覺受變化,當你認為它是順境時,它就是順境;認為它是逆境時,它就是逆境。從表面看起來是相反詞,卻在一念間的轉換而已。順境與逆境展現於眼前,凡夫的分別心便開始起了作用。意即,當你生活在一個很殊勝的環境,每天面對的都是大善知識,能做你的典範,讓你精勤道業。並且,環境中無災無殃,無煩無憂,可謂福報、法緣都具足。此時你的內心相應的一定認為這是順境。如果不是這樣,面對人事物往往不順遂,身心亦常失調,兼且災禍連連,內心除了怨嘆還是怨嘆,必將肯定一切都是逆境。當然,這正是修行的價值所在,佛法說:順境雖好修行,逆境更好修行。因為凡夫身處順境,總會得意忘形,致使有些思考的盲點就不易察覺,但處逆境卻可以磨練心志,讓觀照力更敏銳,減少言行的錯誤。換句話說,真要修行,則對於境界的思惟應是~~居安不樂,逢苦不憂,無順逆想,唯有解脫。畢竟,如是因、如是果,過去所造,現在所受,一切都是業力推動,非己力能為。修行人理應無私無我,不斷的開闊心量,去包容一切,如此,才能走出一條堅固恆久及方向正確的康莊大道!
