法話

2570年8月4日 法話

自分を貧しいと思うことは、経済力があるかどうかとは必ずしも関係がない。だからこそ、「貧しくて、お金しか持っていない」と評される人もいるのである。

心が貧しい人には、生命力がない。毎日、ただ機械のように暮らしているにすぎない。これは貧しさという概念ではなく、貧しさそのものの現実である。「貧」とは、乏しいことをいう。「窮」とは、行き詰まり、極端な状態、あるいは荒れ果てた状態をいう。

乏しいと感じるかどうかは、相対的な認識によるものである。求めても得られないから乏しさを感じ、他と比べるから乏しさを感じる。行き詰まりや極端な状態、荒廃した状態は、生命力が枯れていることの表れにほかならない。

心の豊かな人は、常に満ち足りた思いと感謝の心を抱き、心安らかに、喜びをもって生きている。困窮の思いを抱くこともない。生命の力は尽きることなく、その力が及ぶところには、必ず豊かさと生気が満ちるのである。

現実に生きるとは、いったいどういうことなのだろうか。世間の価値観に囚われた考え方や感じ方のままでいるならば、どうして虚妄のうちに人生を過ごさずにいられるだろうか。

原文

自認貧窮,與是否具有經濟能力無絕對關係。所以有人說「窮的只剩下錢」。
貧乏的心靈,沒有生命力,每天都只是像機器一樣在生活。這,不是貧窮的概念,而是貧窮的現實。貧者,匱乏也。窮者,困頓、極端或荒僻之意。
而匱乏與否,是一種對應認知。求不得故覺匱乏,因比較而覺匱乏。困頓、極端、荒僻,則為生命力枯槁的表現。
心靈富有者,常覺滿足、感恩,心安快樂,從無困窘之感。生命動能無窮無盡,所及之處,必然豐饒生趣。
活在現實到底是什麼?陷入世間價值觀的思覺方式,豈能不妄過。

出典:法性宝林 圓悟法師によるご開示